ケガしないことが一番だと思いますし、あそこでケガをしてしまって

ケガしないことが一番だと思いますし、あそこでケガをしてしまって、ああいう相撲しか取れなかったというのもありますし、今は反省ですね」
優勝一夜明け会見での稀勢の里の言葉だ。
「苦難を乗り越えて優勝し、手応えをつかんだ場所だったのでは?」との質問に答えた稀勢の里は、あれほどの大一番――いや、大二番――を制してミラクルな逆転優勝を果たしてもなお、己を戒めていた。
質問を投げ掛けた手練のNHKアナウンサーでさえ、目を見開き「(!)。そうですか……」と、新横綱の想定外の言葉に感嘆したほどだった。

鶴竜「こんなにやりにくいことはなかった」

大相撲春場所13日目、対日馬富士戦で左肩付近を痛めた稀勢の里は、土俵下で苦痛に顔をゆがめ、なかなか立ち上がれない。腕を吊って救急車に乗り込む姿に、誰もが「休場やむなし」と見た。
だが新横綱は患部をテーピングで固め、強行出場する。
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14日目の鶴竜戦では、得意の左がまったく使えず、なすすべもないままにもろ差しで寄り切られた。土俵を割った稀勢の里の体に、いたわるように手を添えた鶴竜は、「こんなにやりづらいものはない」と視線を落としていた。
今回の“逆転優勝劇”は、2001年の5月場所での、手負いの貴乃花武蔵丸の一戦を彷彿とさせた。
14日目に膝をケガした貴乃花が千秋楽に強行出場、本割では武蔵丸にあっさりと突き落とされるも、決定戦では残れる気力を振り絞り、「鬼の形相」で賜杯をもぎ取った、あの“伝説”の一番だ。

「やりにくかっただろうね。気持ちはすごくわかる」

当時、屈辱を味わうこととなった武蔵丸(現武蔵川親方)は当時の自分を重ね合わせて鶴竜に思いを馳せる。
「やりにくかっただろうね。気持ちはすごくわかる。勝っても負けても言われちゃうんだ。勝てば『ケガしてる相手に勝てるのは当たり前。ケガを悪化させて容赦ないヤツだ』とか、負ければ負けたで『ケガした相手にも勝てないくらい弱い横綱だ』ってね」
そして後年の貴乃花は、当時の心境をこう振り返っていたことがある。それは先場所の稀勢の里の心情を、想起させる言葉でもあった。
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「もう勝ち負けより、気持ちだけで土俵に上がるしかない。だって前日に勝ってさえいたら、そのまま(自分の)優勝が決まっていたわけだし。ここでケガを云々するのは、勝ち負けより恥ずかしいことだと思っているから。あの時のマルちゃん(武蔵丸)はやりにくかっただろうと思う」
土俵上での貴乃花の痛々しい一挙手一投足を見て、武蔵丸は気持ちが乗らなかったという。
「決定戦はやりにくいというか、やる気が出なかった。いつもなら『よし! やってやろう!』と燃えるのに、『ケガしてるんだ……』と、そっちばかりが気になる。どうしてもその気持ちのほうが先に出ちゃうんだよ」
目前にあった優勝をさらわれた武蔵丸は、当時「マルちゃんは優しいから」「あれじゃまともに行けないよな」「同情しちゃったんだろう?」などと、周囲から口々に慰められたというが、それは「横綱の矜恃」――傷口に塩を塗り込まれることでしかなかった。
「だから、鶴竜は優しい性格だと聞くけど、問題はそこじゃないよ。横綱としてちゃんと自分の相撲を取りきった。偉かったな」